横浜トリエンナーレ2020 AFTER GROW 光の破片をつかまえる 〜訪問記録〜

先日、横浜トリエンナーレ2020に行ってきた。
「世界一わかりやすい企画書の書き方」はもう1〜2回書き留めたいことがあるものの、小休止。
アート全般に知見があるわけではないけれど、浮世絵と現代美術は比較的好きなのでタイミングあえばよく観にいく。横浜トリエンナーレは3年に1度しかやらない上に、10月11日(日)が最終日を迎えてしまう。
これはもう、行かずにはいられないでしょう(笑)

全体

横浜トリエンナーレに行ったのは今回で2回目。前回は2005年で、巨大な蜘蛛のオブジェが山下埠頭を練り歩くような催し物があった記憶。さらに、時期的にアートとテクノロジーがデジタルを介して融合していく中で様々な実験的作品が生まれていて、独特のエネルギーを発散していた。
そうした2005年と比べると、今年は特にコロナの影響か、とても落ち着いた美術展となっていた。参加するには事前の予約が必須で、入場数がコントロールされている。

今回は、「ラクス・メディア・コレクティブ」というインド出身の三人組のアーティストグループがディレクターを努めていて、ソース(=考えの種、作品を選定する時テーマ)から、5つのキーワード「独学」「発光」「友情」「ケア」「毒」を導き出し、それぞれの作品に関連するキーワードがタグ付されていた。
「AFTER GROW 光の破片をつかまえる」という副題がついているが、AFTER GROWとは「残光」のこと。解説文には、

生命、宇宙、世界、そして日々の時間は、数えきれないほどの行為を通じて、分解・再構成され、発光に守られて徐々に再建されていく。短い間の傷も、時間の有毒なかけらが放つ残光(afterglow)の中で回復していく。生命とは発光する独学者なのである

という一文が添えられている。

日本人は、学びというものを「道」に置き換えたり、権威づけられた正当な手順や方式にこだわる傾向が強いが、「独学」というキーワードは、まず自分の目から世界がどう見えるのかという極めて原初的な問いかけがなされているように思う。その上で独自に世界を再構成することで、自分にとって輝くモノ・価値を導き出す。自分にとって輝くモノ・価値とは必ずしも身勝手で独善的なモノではなく、「友情」といった他者に対する思いやり(「ケア」)の再確認であるのかもしれない。また、同時に現実に生きる上で避けては通れない「毒」に対する態度でもあるのかもしれない。
全体を通して、そんな風に解釈をさせてもらった。

アートのこの正解を強制しない雰囲気がとても好きだな。
以下、箇条書きになるかもしれないが、簡単に感想。

空間

ニック・ケイヴ 「回転する森」

アメリカでは「ガーデンウィンドウスピナー」と呼ばれるガーデニング用の飾り付けがされるらしい。それを天井から吊り下げた作品。地面は鏡で覆われ、巨大な空間いっぱいに溢れているのがダイナミックでワクワクする。解説を読むと「銃弾」「銃」などのスピナーが隠されていて、アメリカ社会に潜む負の側面も描かれているらしいが、あんまりそこまで注意深く観られなかった。

エヴァ・ファブレガス「ポンピング」

デカい腸。展示エリアというより、展示エリアと展示エリアの渡しあたりの空間に設置されていて、参加者が休憩できる。触ってよいだけじゃなく、座って良い作品。疲れた自分を受け止めてくれる感が素敵。

デザイン

ツェリン・シェルパ :「54の智慧と慈悲」

ネパール(カトマンズ)出身の作者が、父から学んだと言う、チベット仏教絵画「タンカ」から独自の手法を発展させて構成された壁画パネル。伝統的でいて、かつ、現代的で、自分的にはかなり心地いい作品だった。

エリアス・シメ:「TIGHTROPE: (17) While Observing…」

キーボードやマザーボードを使った抽象画(!?)。アフリカ出身の作者の素材感と大胆さが脳の裏をくすぐってくれる感じ。

佐藤 雅晴 「ヤモリ」

無意味な区別かもしれないが、美術館に飾ってあればアートだし、デザイン教本とかに載っていればデザインのような気もする作品。引き算され、洗練されている。上記2作品と比べると、明らかに日本的。

映像

岩間 朝子「non-visible(スティル)」

民俗学の研究者なのか、海外協力隊メンバーなのかよく分からなかったが、1970年代セイロンに駐在していた父の遺したメモや写真から、自分の子供時代との記憶を併せて辿る作品。結論がある話ではなく、断片的であり、それがまた生々しい作品。

アリア・ファリド「引き潮のとき」

中東のある一部族の新年のお祭りとその踊りを記録した映像作品。作者が女性だからか、女性的で神秘的で、不思議な音楽と、そして、ちょっと可笑しい作品。

ローザ・バルバ:「地球に身を傾ける」

雪に覆われた、うすさむい大地の映像を、35mm映写機とともにひたすら流し続ける作品。映写機の機械音とフィルムのカムを噛んでいるカタカタという音。映像とそれを発生させる装置が敷居のない一つの空間に設置され、記録の再生と解釈が人工的に同時に生成されている雰囲気が、昔8mmフィルムで作品を作っていた自分には心地いい作品だった。

発光

アンドレアス・グライナー「弦より古生物へ」

プロット48という別会場でやっている体験型プログラムで、たまたま最後の1枚入場できますと渡されて、訳も分からず入った。夜光虫・夜行藻は、昼間太陽の光を蓄積し、夜に物理的な刺激を受けると発光する特性を持つのだそう。その特性を利用して、ピアノの上に置かれた夜光虫・夜行藻の水パックが、弦の音に弾かれて発光するのを鑑賞するプログラム。幻想的で不思議な体験であった。

竹村 京 「修復シリーズ」

壊れた器、おもちゃなどいろんなもののヒビに沿って、発光塗料を塗った糸を優しく巻き付けた作品。ブラックライトに照らされて、ヒビの上の糸が輝く仕組みだが、淡く、包み込むようで、少し癒される。

まがいもの感

ニルバー・ギュレシ:「鞍馬」(『知られざるスポーツ』より)

文化的に抑圧される女性のジェンダーをコミカルに風刺したような作品。ポリコレ的な運動は正しいのだろうけど思考に疲労感を覚える。この作品はそうしたステレオタイプとは一線を画していて、好感が持てるし、説得力があるなぁ。伝え方って大切。

最後に

日々仕事のことばかり考えていくと、思考の枠組みが凝り固まっていく。
特にビジネスは、売上とか利益とかそれに付随する事ばかりが思考の中心となる。
自分の貧弱な感性では現代美術の意味を本当に的確に拾えているのか分からないが、ただ、無駄に大きい物や子供のころ妄想したような遊び心あふれる「形」に出会い、いい大人が人生かけて作り込んでいるエネルギーを感じるだけで、何か解放されていく気分になる。