好きを商売にするということ

ある焙煎屋さん

中小企業診断士に合格すると、実務補修を3回くらい実施しなければいけない。これはフィールドワーク研修で、4−5名くらいのチームになって、実際の事業者さんへ経営状態などをヒアリングし、組織・人事、マーケティング、生産管理、財務などの様々な観点から課題を洗い出し、解決策を提案する。
これまで大手企業の中でしか働いた経験しかなかったので、直接事業者さんと知り合う機会はほとんどなかった。よって、商売をする人は儲けのことしか考えていない人々だと思い込んでいたが、実際の事業者は少し違った。

実務補修では、上品なご婦人が経営されているコーヒー豆の焙煎屋さんがあった。
正直、財務状況はそんなによくはなかったが、本当にコーヒーが好きで、好きが高じて、伝手を辿って他では手に入らないようなコーヒー豆をブラジルの農園から直接手に入れたり、教室を開いたり、充実した生活を送っているようだった。驚いたのは、経営者のご婦人は、3回くらい来たお客さんの好みをほとんど憶えてしまっているという事だった。もちろん単に記憶を辿るだけではなく、ノートに書き留めていた。2年間分くらいのノートを見せてもらったが、いつどんなコーヒーをどんな煎り方で買って行ったのか個人の特徴から会話の内容などもビッチリとメモしていたりした。
コーヒーの一つ一つの良さがわからなければ、そうした紐付けをする事もできない。

事業をするという事

商売柄たまに創業セミナーの手伝いや講師をお願いされる事がある。
講義の内容は、主にストアコンセプトを考えさせる事が中心になる。つまり「何を」「誰に」「どのように」売るのかという事である。創業は、昔からの夢を叶えるために一念発起して人生をかけるようなライフイベントだが、2017年中小企業白書によると、5年後の企業生存率は82%で、5社に1社は5年を待たずしてつぶれている。やはり、どんなにやりたい事でも需要がないことを続けることはできない。それだけに、より具体的にターゲット(「誰に」)を設定し、「何を」売っていくのか、「どのように」商品・サービスの魅力伝えてお客さんを集めるのかが重要になる。

(中小企業白書2017年版 コラム2-1-2②図)

起業はリスクが高いと言われるが、ストアコンセプトがしっかり設計されていれば、そこまで怖がる必要はない。悪い噂は良い噂の10倍の速度で広がると言われている。自営業が傾きかけた時、親戚縁者が被害などを被る話が伝えわると、「やっぱり商売なんかやるんじゃなかった(やらせるんじゃなかった)」という話になりやすいが、倒産・廃業はそれぞれ個別の理由や事情があるわけであり、一緒くたに「起業=絶対失敗」というのは荒っぽすぎる。第一、街の商店街の小さなお店やコンビニだって誰かが決心しなければそこで商売されていない訳で、そうした事業者に支えられて我々の生活が成り立っているのに、失礼な話である。

簿記3級は必須条件

一方、創業セミナーでも、経理の話になると途端に受講者の目が死に始めるのだが、事業をやるなら財務能力として最低限「簿記3級」はとって欲しい。創業セミナーでこれを言うと、それだけでせっかくのやる気を萎ませる結果となるし、なるべくならポジティブな思いのまま創業に臨んで欲しいところはある。
また、経理や税務は、税理士さんにお願いするから必要ないと思うかもしれない。実際問題、仕訳作業に関しては、ほとんど経営者がやる必要はなく、Freeeなどのクラウド会計ソフトなどを使ってデータを放り込んでおけば勝手に経理作業してくれる。
それでも、簿記が必要なのは、それが個人事業主から大企業までサイズに関係なく、経営状況をモニタリングするためのツールだからだ。例えれば財務諸表というのは自動車でいうところのダッシュボードのような役割をしていて、簿記を学ぶことで、今経営がどんな状態にあるのかの数値を読み、意思決定する事ができるようになるのである。
簿記3級は頑張れば2ヶ月ほどで取れるくらいのレベルなので、是非挑戦してみていただきたい。

好きを商売にするということ

ストアコンセプトをしっかりと設計し、財務能力があればかなりの確度で事業は手堅く進む。ただ、やはり真の意味で成功を求めるなら、最後は魂を入れる必要がある。

事業というのはかなり手間が必要になる。決して楽ができるものではない。
その辛さを経済価値に還元するならば、元から商売は始めないほうがいい。1年間死ぬ気で働いて利益が0なんてことはままある訳で、極論すれば国債でも買って寝かせておいた方が得である。
しかし、そこに何らかの喜びを感じることであれば、それは他の人間であれば0の価値しか見出せないものに、それ以上の価値を得ていることになり、他者には真似できない絶対的な強みになる。

先ほどのコーヒー焙煎屋さんの話でもあるように、「何かをしたい」というのは最も根本的な商いの土台となる。
美味しいコーヒーと出会うこと。そのコーヒーを知ってもらうこと。そして、コーヒーを介して生み出される家族や友人との大切な時間を作り出すこと。そうした価値を経営者は感じていたのだと思う。
ノートをつけるということは、誰かに求めらて始めた事ではないのだろうが、本質を突き詰める事で自然とそうした事が必要と感じるようになったのではないだろうか?
経営者の女性は、店頭に立っているとほんわかした雰囲気で、優しく、癒し系にも見える女性だったが、ノートを見せてもらったとき、正直圧倒された。「巨人の星」で花形満が語ったように、「優雅に泳いでいる白鳥も、水の下では一生懸命水かきをしている」ものなのだろう。

多分、そういう事が商売なのである。