日本では何故GAFAが生まれないのか?~固着化した社会~

受験戦争に勝ち抜いた先に待つ世界

痛いニュースが飛び込んできた。
Zoomの最新バージョン(5.2.2以降)で参加者の表示場所を指定する機能がリリースされるのだそうだ。

日本市場に配慮? Zoom、最新バージョンで「役職者を上座に表示」がついに実現

下記のニュースを読んだ時は正直ネタかと思っていたが、早速開発してしまったらしい。

社内Zoom会議について日本企業がコンサルに『部長や役員を大きく表示してほしい』や『部長や役員を上座に表示できませんか?』と尋ねた話

そのスピード感、海外の企業らしいなと思いつつ、余計なことをしてくれたな、というのが率直な感想。日本の生産性を落とすためにワザと追加しやがったなと、陰謀論的に解釈したくなる自分もいる。もちろん重要なスピーカーを任意の位置に固定化したいという要件は、日本に限らずあったのだろうということは想像つくが、結果としてアホなマナーコンサルタントが、ありもしない礼儀作法を勝手にこしらえていつの間にかルールを決めてしまうのではないかと心配である。そして、ルールがいつの間にか関西と関東で別れはじめて、「マック」なのか「マクド」なのか、あるいは「出る単」なのか「シケ単」なのかという、全くもって無駄な論争が開始されるようになるのかもしれない。

冗談に聞こえるかもしれないが、以前仕事をしていた会社では、取引先とのリアルな会議での席次を決めるために、相手先の実務担当者から裏でかなり詳細なヒアリングをかけていた。大企業に入れるような頭のいい人々たちが、数時間も稼働をかけて誰がどこに座ってもらうかを議論しなければならなくなるのを思い浮かべると、百害あって一理なしである。
受験戦争に勝ち抜いて、たどり着いた先で使う時間がそんなアホなことに消費されていいはずがない。

社会人として最低限のマナーは必要だが、礼儀自体は価値の本質ではない。
礼儀やマナーというものは、適切な距離感を保ち、人間関係をスムーズにするための知恵であり、それにより高い「価値」を生み出すためのものでなければならない筈である。

藤井聡太2冠

これまでの最年少記録を書き換え、藤井聡太(現8段)氏が棋聖(17歳11か月)・王位(18歳1か月)を獲得したというニュースが世間を騒がせている。将棋はルールこそ分かるが、結局どれくらいすごいのかという事が想像つかないという人も多いと思う。
ここら辺、香川愛生(女流三段)女史と糸谷哲郎 (八段・元竜王) 氏のYouTubeでの対談での解説が面白かった。

 

藤井聡太(8段・棋聖・王位)氏は、どうも盤上を頭にイメージしていないのだそうだ。
どういう理屈でそれができるのかは分からないのだが、将棋において一手深く掘るたびに累乗で選択肢が増えていく。もしここで盤上をイメージする必要がなくなるのであれば、論理的な思考のみでさらに深く手数を読む事ができるようになり、それが藤井聡太氏の強さの源泉なのではないかというのが、糸谷氏の説明だった。

これは非常に面白い仮説で、もし人の能力・キャパシティに差が無いのだとしたら、その使い方が問題となる。目指す価値を創造するためには、いかに無駄を省いて、本質に迫れるかが重要である。

日本では何故GAFAが生まれないのか?

2020年08月世界時価総額ランキングTOP50を見ると、日本企業では唯一トヨタが48位に位置付けているだけである。(米32社、中8社、スイス3社、仏2社、日その他 各1社)
時価総額が大きい事が必ずしも良いとは一概には言えないが、平成元年では、日本企業が30社近く入っていたの(週刊ダイアモンド2018.8.20記事 「昭和という「レガシー」を引きずった平成30年間の経済停滞を振り返る」)を見ると、少なくとも世界に対して新たな価値を生み出す企業を育てることに、日本は失敗したのは明らかだろう。

ビジネス誌などでは、「なぜ日本ではGAFAが生まれないのか?」ということがよく話題になる。
個性を育てない教育の問題かもしれないし、リスクを高く見積もりすぎる気質が原因なのかもしれないし、一度企業に失敗したら2度と立ち直れないカルチャーもあるのかもしれない。アメリカは世界が市場だが、日本は国内しかみていないと言う人もいる。
そこには、いろんな正解がある。
だが、「なぜ、日本ではGAFAが生まれないのか?」という設問の立て方をすると、日本社会の欠点ばかりをあげつらう結果となる。では、果たしてその欠点を全て解消した時に、新たな価値を生み出す企業が生まれるのだろうか?

どちらかと言う「アメリカは何故GAFAを産めたのか?」という問いの方が正しい。

米シリコンバレーでは、有望な企業が生まれると、巨大な資金が集まり、一気にサービスをローンチしていくのだそうだ。そんな先行きが分からないベンチャー企業によく投資できるものだなと、普通の感覚では思う。だが、アメリカのベンチャーキャピタルがやっているのは、資金を集めて「はい、後はよろしく」と言うのではなく、投資会社のネットワークやノウハウを駆使して、マネジメント層や優秀な技術者を集めて、アイディアを一気に具現化させるのである。
いくら、マーク・ザッカーバーグやラリー・ペイジが優秀だと言ったところで、お勉強しかしてこなかった大学院卒の博士が、いきなり企業を経営できるわけがない。彼らの後ろには、マネジメントに長けた優秀なミドル層が存在するのである。

優良な企業だから大きくなるのでは無い。巨大な資本を注ぎ込むことで、優良な企業に成長させるのである。(…という話をどこかの記事で書いてあったのだが、出典は不明)

要するに、シリコンバレーがGAFAのような覇権企業を生み出す事ができるのは

資金を集める → マネジメントを呼び寄せる → アイディアを具現化する

という仕組みが存在するのである。
この仕組みが機能するためには、人材の流動性が高い社会である必要がある。
アメリカのように人材の流動性の高い社会は一方で、競争についていけない人材を貧困層へ押しやるリスクもあるので、どういった社会が良いかは議論のあるところではある。だが、雇用は安定しているけれども人材が固着化し社会としての成長が止まってしまうと、縮小均衡して全体が貧しくなっていく可能性もある。まさに今の日本はそんな状態なのかもしれない。

印象論になるかもしれないが、日本社会はミクロでもマクロでも、思考がどこか一歩遅れている感がある。
別に、アメリカのようになれとは思わない。そもそも、日本の人事制度は専門性よりもジョブローテションさせて汎用性が高い人材を育成する傾向が高い。これは、いわばマネジメントに長けた優秀なミドル層がたくさん存在している事に他ならない。日本人の気質として、会社を辞めてまでチャレンジをするのは難しいかもしれない。だが、社会を変えるような良いアイディアがあったなら、会社にいたままでも、年齢も性別も関係なく、いろんな得意を持った沢山の人材がドカドカっと集まる。そして、どかっと新しいプロダクトやサービスを作っていくような仕組みが出来上がれば、かなり面白い社会になる筈だ。
要は、日本なりの勝ちパターンというのをなんとかして作れないのかな…と思うのである。

なんかまとまりのない文章だが、最近、そんなことを妄想したりする。