さぁ、プロジェクトをはじめよう<第3回> 〜理想のマケドニア軍・魅惑のプロジェクトマネジメント〜

理想のマケドニア軍

プロジェクトマネジメントとは、管理技術である。
技術である以上、そこには再現性や汎用性があり、なにか特殊な能力を持った人間でないとできないというものではない。人をまとめるのだから、リーダーとして特別な魅力や個性が必要だとか、一部の特殊能力を持っている人しかできないと思いがちだが、それは単なる思い込みである。

自分はどちらかというと内向的で人間関係も苦手な方だ。幸運なことに家が貧乏だったので引きこもりになる余裕すらもなかったが、ベースの部分には対人恐怖症がある。それでもプロジェクトマネージャー(PM)やプロジェクトマネジメント事務局(PMO)という仕事に就いてなんとか12年やってきている。

プロジェクトマネージャーにもいろんなタイプがいるので一概には言えないが、個人的には外交的で魅力的な人間よりも、内向的で細かいところに気配りができる方が向いていると思う。特に大きなプロジェクトを動かす時は、リーダーに依存しすぎるプロジェクトはそれだけで大きなリスクを抱えることになる。何故ならそのリーダーがいなくなればプロジェクトがスタックしてしまうからだ。理想的なプロジェクトとは仕組みがしっかりとできあがって、プロジェクトマネージャが一々口を挟まなくとも自律的に動いていくプロジェクトだ。マネージャの仕事は人を引っ張ることではなくその仕組み(システム)を作り回していくことである。

「寄生獣」で有名な岩明均氏の「ヒストリエ」という漫画の中に、こんなシーンがある。

「軍というのは個々でなく集団なんだよ。統制されてこそ最大の力を発揮する。」

「例えばこちらの部隊に3〜4人突出した能力を持つ武人が混じっているとするな?片やこちらの中には一人だけ能力の劣った兵がいて、部隊全員がその劣等兵の動作に合わせ統一した動きをとったとする。すると不思議にこっちの劣等兵に合わせた部隊のほうが強かったりするんだ」

「1対1で負け、10対10で敗れても、100対100、千対千で勝てば良い。やがて英雄・豪傑など不要となろう!それこそが理想のマケドニア軍なのだ!」

(ヒストリエ6巻第53話)

英雄・豪傑を単純にプロジェクトマネージャーに置き換えることはできないが、ここで言いたいのはマネージャに求められるのは圧倒的な力や魅力ではないということだ。それよりも仕組み(システム)を構築し、いかに統制していくのかという点にマネージャは傾注すべきであり、その為に必要なのは課題やスケジュールを見る細やかさだったり、人に対する感度だったりするのである。

間違っても「キングダム」や「北斗の拳」に出てくるような、英雄・豪傑をマネージャーのイメージで捉えないでいただきたい。

有能な人間の罠

こんな漫画で喩えると何か冗談のようにも聞こえるかもしれないが、現実問題として最近の日本ではプロジェクトマネージャーに限らず、マネージャ職をやりたがらない人間が多いようだ。そこには自信の無さとともに、過大に責任を負わされたりするのではないかとか、何かに秀でていなければならないのではないかという思い込みがあるのだが、実際そんなことはないのだということを強く伝えたい。

特にプロジェクト管理においては、PMBOKやITILなどのマネジメントスキルが体系化されており、検討しなければいけないポイントも明確である。それでも、あえてプロジェクトマネージャーに必要な素養を上げるとしたら「謙虚さ」やメンバーや関係者に対する「感謝やリスペクト」が持てる人間かどうかである。

人間とは現金なもので、マネージャ職につく前は責任感に押し潰されそうになるが、なって少し慣れてくるとなんだか自分が少し偉い気がしくる。今まで命令される側だったのが、自分が言ったことに人が動いてくれるようになると、どっかしら勘違いが生まれるようになる。

特にこうした勘違いは、能力の高い人間が陥りやすい。
自分は出来ていたのだから、それを言うだけの根拠も権利もあると言うわけだ。そして、自分をマネージャに選んでくれた上司の期待を裏切りたくない、あるいは、能力が高いという自己イメージを崩したくない為に、それを自分のチームやプロジェクトにも求めることになる。
実際のところ彼・彼女の言うことは正しく的確であり、一時的にはプロジェクトの生産性を高める効果を持つ。ただ、そうした正しく的確であるということは、裏を返せば、言われた誰かを否定していることに他ならず、やがて有形無形の反発となってマネージャの首を締めるのである。

ただ、率直に言うとこれはマネージャ職になった人間の多くが通る道である。
だからこそ、回りから反発され、誰もついて来なくなって、やっぱり自分はマネージャなんて向いてないのだと絶望した時がようやくスタート地点となる。
人によっては会社を辞めてしまう人もいるかもしれないが、是非そこは踏みとどまってほしい。正しいことを受け入れない回りが悪いと責任転嫁をしてはいけない。そもそもの原因は自分なのだから、自分が変われば解決するのである。

魅惑のプロジェクトマネジメント

ITの例で言うと、プログラミングやその設計というのは思う以上に泥臭い作業だ。

ソフトウェア開発データ白書 2016-2017によると、C言語の1時間あたりの生産性はおよそ5SLOCである。これはコンピュータに対して下せる命令文がだいたい一時間で5行ということだ。この中には様々なテストの工数も含まれているのだが、いい大人が真っ当に動くコードを書こうとしても平均的には一時間で5行が限界なのである。こうして苦労して書いたコードがようやくリリースできるようになるまで、場合によって数ヶ月単位で取り組むことになる。

苦労を強調したいわけではない。
ここで言いたいのは、マネージャ職になると実務からは解放されることになるが、たとえ自分がやればもっと効率にできるようなことも、今、現実に手を動かしてくれているのは他人だということだ。そしてそういう人間を軽んじてはいけない。
人間はプライドの生き物である。もし他人のプライドを挫くようなやり方を是としているのであれば、個人のパフォーマンスとして有能でも、管理者としては無能である。

特にプロジェクトマネジメントは、様々な組織やグループから横断的に人を集めて成り立つ場合が多い。
営業は営業で、研究は研究で、マーケティングはマーケティングで、デザインはデザインで、運用は運用で、販売は販売で、殆どの人は、それぞれの現場でプライドを持って仕事をしているのである。そこには、自分のできない能力や仕事を提供してくれているメンバーや関係者に対する、心のそこからの感謝とリスペクトの念が必須である。

手を動かすことから開放されるということは、プロジェクトマネージャがある意味一番無能であるとも言える。
それでもまわりの人間がそんな実務に貢献しない無能者に付き従ってくれるのは、多くの人間が協働して結果を出すための仕組み作りとその運営の役割を担っているからだ。そして「役割」というのは文字通り「役割」であって、集まるメンバーとの間に上下関係があるわけではない。これは本当にフラットに捉えるべきで、必要以上の責任を負う義務も無ければ、何かを偉そうに命令できる権利が発生しているわけでもない。
あくまでも、プロジェクト組織として仕組みの構築とその運営がプロジェクトマネージャの役割なのである。

最後に言っておきたいのは、様々な専門性を集めて自分がマネジメントした組織が自律的に動き始めた時は、自分の身体を超えたなにか大きなうねりのようなものに乗せられて進んでいくような楽しさを感じるのである。

プロジェクトマネジメントは本当に楽しい。