コロナベイビーズの観る世界〜アフターコロナを想像する〜
距離の変質
去年の今頃世の中どんな事が話題になっていたかを振り返れば、丁度、宮迫博之の闇営業問題が燃え上がっていた時期であった。今年のはじめはどんな事があったか振り返れば、東出昌大・唐田えりかの不倫問題がTVを賑わせていた。
あの頃は世界の風景がこんな風に変わってしまうとは予想もせず。隔世の感。
来年の今頃、我々はどんな生活を送っているだろうか?
オリンピックの開催は決まっているだろうか?
仮に日本国内で新型コロナが終息したとしても、有効なワクチンでもできていない限り、海外からの観光客を大量に入国を認めることはできない。そうするとオリンピックは中止するか、無観客で開催するか…。だが、バーチャル3D技術などにより、VRデバイスを使った自由視点映像を楽しむ世界に変わっている可能性もある。それはそれで、アスリートの肉体の躍動を数メートルの距離で楽しむ事ができる革命的なオリンピックになるかもしれない。
いよいよ5/25には東京でも緊急事態宣言が解除されるようだ。解除されても第二波・第三波は多分起こるのだろうし、今後、人と人との間に十分に距離を取るようなそんな社会生活が根付いて行くだろう。
大部分のホワイトカラーは今回の自宅待機のおかげで、仕事をするのに必ずしも出社する必要の無い事に気づいてしまった。もちろんFace To Faceで会うことの意味はあるが、全てがそうである必要はない。仮に平均的な通勤時間が片道1時間と仮定するとそれこそ数千万人の人々が毎日往復2時間かけて通勤・通学している時間がどれだけほどの無駄になっているのか想像もできないくらいだ。
近い将来、通勤するにしても週一という状態になっているのではないだろうか?
そうすると、首都圏でも住居は八王子とか宇都宮とか、通勤するには遠いけど週イチくらいで顔出すくらいなら耐えられる距離の衛星都市やそこで展開されるサテライトオフィスなどの需要が大きく盛り上がることになる。
家族・地域社会・働き方の変質
「距離」の変質は、家族のあり方も大きく変えることになる。
特に今回の出来事をポジティブに捉えるのならば、家族と向き合う時間が増えたことではないだろうか?また、もし今後必ずしも出社しなくてできる仕事が増えていくのであれば、例えば子供を抱えるシングルマザーの通勤時間が短くなるなど、女性の社会参加もしやすくなるだろう。また、仕事を言い訳にしていた父親たちの家事への参加を促すことにもつながっていく。
都心に定常的に通う必要がなくなるということは、相対的に地域社会の価値が向上し、これまでなかった地域との繋がりも強化されることになるだろう。
ベンチャーで就業する知り合いのデザイナーさんはコロナの前からそんな生活を送っていたが、今後は大手企業でもそうした傾向は増えるかもしれない。働き方改革が叫ばれる昨今だが、今後は時間を取ってまで直接会わなければ行けない業務の合理性が問われることになる。
また、今まで働くというのは、出社してから退勤するまでを意味することになっていたが、通勤・通学が必要ないのであれば、朝は農作業して、昼は地元の飲食店の厨房で働き、午後はネットで会議する…みたいな働き方もできるようになる。そうなると、個人が事業主化して複数の仕事を並行して働くなんて事も普通に行われる時代が来ることになるだろう。
中小企業の変質
こうした働き方が可能になるのは、ITがインフラとして機能している必要がある。また、本質的に価値を産む仕事以外はなるべくコストをかけないように合理化していく必要がある。
端的に言うと経理処理や請求業務みたいな事務仕事はITがやり、企画・計画・意思決定やコミュニケーションなど、本質的な仕事だけ人がやることになる。
もしかしたら、今後は法人や個人事業主でもない、新しい事業形態が生まれるかもしれない。
個人が複数事業を並行するということは事務作業が煩雑になるということであり、そうした事務部分だけをどこかに一括で委託するような半企業半事業主のようなものが出てくるかもしれない。
あるいは、中小企業基本法の中小企業の定義(常時使用する従業員の数)が変わり、小さな事業体を一時的に吸収して、生産性の向上を図られるようになるかもしれない。環境変化に応じてその組織が絶えず組み変わっていく。小さな事業体であることと、規模の経済の両方のメリットを目指すようなそんな組織体が生まれてくる。そんな事も予想してみたりする。
コロナベイビーズの観る世界
ブラジルのリオのカーニバルの期間中は、殺人事件が多発する。
ある時のリオの市長が、そのことについてコメントを求められた時、「大丈夫。来年の今頃は死んだ数より生まれてくる数のほうが多いからね」と回答したそうである。
日本でも、来年の今頃はコロナベイビーズが沢山生まれているだろうか…?
少し不謹慎かもしれないが、せっかくならポジティブな世界を想像していきたいものである。