未来予想図/ 土地担保システムの崩壊

この間あるレストランで二人の老人がビールを飲みながら食事を食べている場に遭遇した。脇に地面を引きずるような、キャリーバックのようなものが置いてあった。横を通った時には気づかなかったが、席についてふと目をやると、そのキャリーバックのような入れカゴに90歳は超えているだろう老人の母親らしき人間が、鼻に管のようなものをつけて眠っていた。

正直ギョッとしたのだが、ある種いよいよ超高齢化時代にはいったのだなと実感した瞬間でもあった。

少子化/人口減少の意味するところ

人口減少がかなりやばいという話はマスコミなどではよく話題になるが、最近まで結局何がやばいのかというのがイマイチぴんと来なかった。だが、昨年消費税増税に伴う軽減税率の説明で街の事業者を40〜50件訪問したのだが、リアルに60歳を超えるような経営者ばかりで、社会そのものが老齢化している状況を肌で感じるようになった。

統計的にも2015年の人口は12,709万人だったのが、10年後の2030年には11,522万人に減少する。2015年を100とすると、90.6という数字になる。厚生労働省「人口動態統計」によると2060年には人口9000万人になると推定されるが、40年先を考えなくともこの先10年で約1割の人口が減少する見通しである。

これは、企業にとっては単純に売上10%が減る計算になる。もう少し身近なところに置き換えれば、445万円/年あった給与が400万/年 近くに減るような感覚だ。

需要も減れば供給も減るから「行って来いだよね」と考えるかもしれないが、少なくとも生産年齢人口は減り、高齢人口は増えるので働き手が働かない人間を支える重みはどんどんと増す計算になる。今も既にそうだが、年老いた親と子供の面倒の両方見る必要が出てくるならば、更に子供の数が減ってしまうかもしれない。

土地担保システムの崩壊

昔であれば、地方でも土地を持っていれば地主としてお金は借り放題。ちょっと金回りが悪くなっても土地の一部を切り売りすれば持ちこたえられたようだが、今は土地に値段がつかなくなっている。値段がつかないだけならばまだしも、土地を持っているだけで固定資産税を払い続けなければいけないから、土地を持つことが、実質「負」の資産となっている。

よく金持ちが遺産を地方自治体に寄付するようなニュースが美談として流れているが、少なくとも土地に関しては地方自治体は寄付でも受け取らない。彼らにとっては、土地をもらっても整備や管理にコストがかかるだけで、人の持ち物として税金を払い続けてもらったほうが得なのだという。
しかも、会ったこともないような遠い親戚が持っている土地を相続させられ、知らない間に行政が施工した安全対策の実費などを請求されるような場合もあるようだ。

余談だが、空き家が現在800万戸ある状況にも関わらず、アパートなど建設による相続税が有利になるような税制が敷かれており、供給だけが止まらない状況が続いているのが現在の日本の状況である。ここらへんは行政の領域になるが、価値のない負担や投資を抑止しないと、ただでさえ減少していっている人的資源や経済の活動を無駄に使って、自治体も住民も共倒れになる可能性がある。

元に戻ろう。
今まで日本には土地神話というものがあったが、土地が価値を生むのは人が増え、不動産に流動性があったからだ。気づいてみれば、戦後から人口が増え続ける中での実は歴史的に特異な時代だったのかもしれない。

土地に値段がつかないということが何を意味しているかというと、土地を担保に融資を行うというこれまでの融資システムが機能しなくなることを意味する。何故なら、いくら土地や建物を担保にとったとしても、それが売れなければお金が回収できないからだ。

ここらへんは「不動産2.0」長谷川 高 (著) に詳しく書いているが、今後は事業性評価をしっかりして融資する以外の方法はなくなるようである。

ビジネスに向き合う

憂鬱なことばかり書いてしまったが、良い面にも着目してみよう。

人口が減ると言ってもそれは一律平均的に減少するわけではない。人が集まるところにはより集まり、そうでないところはより減っていくのではないかと思われる。また、首都圏一極集中するとも言われているが、その中でも濃淡はついていくだろう。(例えばリモートワークが進んでいき、適度な周辺都市が発展する可能性もある。)

そんな中で単に土地を持っていることが価値になるのではなく、事業として成り立つものは評価され、そうでないものは評価されなくなるということだ。率直に言うと今までの土地担保システムは堕落したシステムとも言える。才能もやる気も能力もあるのに、事業性ではなく担保しかみていないシステムだからだ。
金融マンが事業と向き合い、目利きをし、本当に価値にあるものに資本が投下されるのであれば、産業が発展しないわけはない。

また、これまでの工業的な大量生産の、多様性も個性もない均質な人間が求められる時代が終わり、しっかりリスクをとって自分で意思決定をできる人間が求められる時代に移行していくならば、それは歓迎すべきことではないだろうか?